gintemaree’s diary

創作には番号をふっています。

大学1年生の時に指定図書を半分しか読まずにそれっぽく書いたレポートが出てきました。

私は昔から付け焼き刃が得意です。

「権利のための闘争(イェーリング著)」のレポートを書く課題で、途中からずっと同じこと書いてるくね?と思って後半を読まずに出したレポートです。原稿用紙2枚強ほどの短いものです。

パソコンを持っていないので、レポートは基本携帯のメモで書いていました。よくこれで単位取れたな。5年前の話。

以下本文


 私はこのような法学書を読むのは初めてだったのでどんなに難しい本なのかと不安に思っていた。しかし、実際に読んでみると想像していたより読みやすく、感想文を書けることにほっとしている。

 著者であるイェーリングはまず、現在の法というものが、人々の長年にわたる権利の闘争の成果であると主張している。権利の闘争は、人がなにか自分が生存する上で欠かせないものが奪われた時に起こるもの、正確には起こさなければならないものだという。イェーリングによると、自分が生存する上で欠かせないものとは、農民にとっては土地などの財産であり、将校身分のものにとっては名誉であり、商人にとっての信用であり、これは人の職業や門地によってさまざまであるが、共通しているのは、これによって人の倫理的存在が明確になるものだということである。わたしはこれをアイデンティティの基礎と捉えたが、著者にならうと、所有物というものである。

    この所有物が他者によって侵害された時、私たちは奪われた所有物を自らのもとに取り戻すために闘争を起こすのである。闘争は訴訟という形をとって行われる。しかし、ここで著者が注意すべきとしているのは、この所有物を取り戻すための闘争が利害と結びすいてはならないということである。私がこの本で1番印象的だと感じたのもこの部分である。つまり、奪われたものが少しであるからといって闘争を起こさなかったり、訴訟にかかる費用と侵害された所有物の価値を秤にかけたりしてはいけないというのである。

 私はこれを読んだ時、今私たちに保障されている権利はこうした利害に左右されない純粋な権利のための闘争が繰り返されたことの賜物であり証拠なのだということが理解できた。私は、自分が先人たちのように利害にとらわれない毅然としたスタンスで権利の闘争ができるかといわれると正直難しいと思うだろう。だからこそ、先人たちが大変な労力と時間をかけて勝ち取ってきた権利を行使し続けることが大切なのである。1度手放してしまった権利を取り戻すのは簡単ではない。

 私たちは、先人たちのおかげで生まれながらにして様々な権利を保障されている。私は今回イェーリングからこのことを学び、間違っても権利を放棄することがないように行動しなければならないと感じた。