散歩というには少し早足なくらいで、両国橋へ向かって支流沿いを下る。もう冷えたビールが体温を奪い始める頃かと、身をもって季節の移ろいを感じる。
「この川沿いは金木犀が植わってるらしいですよ。」
「そうですか。」
「まだ引き出しはないままですか。」
彼女がふふと笑う。
「もちろんありません。教えてくれても困らないですけど。」
「いや、もったいないのでずっと知らないでください。」
まだ深い時間ではない。両国橋の車通りもさほど減ってはいなかった。
車道に背を向け、欄干に並んで肘をかける。川の上流を反射するいくつもの灯りたちを眺めぽつぽつと交わす言葉の、その読点のたびに缶が軽くなっていく。
昨晩の月が高くて綺麗だったことや、この時期なのに蚊に刺されたことなど、まるで穂高に居るような、そこでの読書の合間に交わされるような切れ切れの会話である。
「ビニール袋、わざわざ買ったんですね。」
「バレましたか。参っていたもので。」
「は?」
彼女らしくない、急に弱みを晒すような台詞に虚を突かれた。まじまじと横顔を見つめてしまう。
彼女はビールを呷ったが、もう中身は残っていないようだった。
「こうも外に出にくいと鬱憤が堰き止まってて大変みたいで。」
「他人事みたいですね。」
「人に気を遣いたかったんです。ビールは泡が立っても、手の温度でぬるくなっても困ります。非日常なことが必要でした。」
彼女は自分の心を労るため、わざわざコンビニで袋を買い、金と手間をかけて極力状態の良いビールを他人にくれたらしかった。
確かに路上飲酒でこんなに気を遣われるのは経験がありませんね、と返したのは正しかったのだろうか。
「帰りましょう。お時間割いてくれてありがとう。お陰様で罪悪感が薄まりました。」
「どういたしまして。」
先刻の動揺を引きずるのは私の勝手である。
「あなたと話すのは、なんだかリレーのアンカーになった時と似た感じがします。」
正直なところ、この表現が合っているのかは分からない。緩急のせいで平常心ではいられないのに、決して不快ではない。
「なんですか、それ。」
歩き出す。
「感覚の話です。こちらこそお誘いありがとう。」