gintemaree’s diary

創作には番号をふっています。

[9]柊

※公然わいせつに関係する表現があります。苦手な人は避けてください。

 

 

どこをどう走ったか覚えていない。私は早鐘を打つ心臓を抱えて穂高の前にいた。言葉どおり死ぬ気で走り、あの男を撒くことに成功したようだった。

上がった息も整わぬまま店内にはいる。彼女は窓に近い席にいて、私が近付くとペンを置いた。

「あら大丈夫ですか」

私がただならぬ様子をしていたからだろう。彼女は意味もなく一度立ち上がり、冷たい飲み物の方が良さそうですねと対面に座った私にメニュー表を寄越した。

私は彼女に礼を言いつつアイスティーを注文する。

「そんなに急がなくても良かったのに。鬼でも出ましたか」

「鬼...といえば鬼かもしれません」

偶然の言葉遊びにどきりとする。

「早速ですが、ご注文の恵方巻き...あっ」

彼女に選んで貰うべく差し出した恵方巻きは、走ったせいで惣菜容器の中で大きく寄っていた。慌てて引っ込め、せめて綺麗な方を渡す。

「すみません、本当は選んでもらうつもりでしたが、全力疾走してきたので崩れてしまいました。」

「構いません。ありがとう」

彼女は袋の中身を覗き込み、少し満足げに頷いてこちらに向き直った。

アイスティーが届く。

「で、どうしたんですか。今日は時間を決めていた訳でもないのに、ものすごい息切れですけど」

「事情があるにはあるのですが、どう説明したものか」

不審な男から逃げた。だが直接危害を加えられていないので、話したとて分かってもらえるのか。そもそもこんな話をすること自体が彼女への加害になってしまわないだろうか。

「無理に話させたい訳ではありません」

堂々巡りする思考を気遣うように彼女が私を窺う。たった一言だが、彼女はまともに取り合ってくれるかもかもしれないという気になった。

「...良い話ではないし、拙い話になると思います。笑わないでくれますか」

「約束します」

彼女が姿勢を正す。

私はアイスティーで口を潤し、電車を降りてからここに着くまでのことを語った。

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彼女はひと通り聞くと、眉根を寄せてため息をついた。

「何と言うか、まずはちゃんと撒いて逃げられたのが偉かったというべきですね。怖かったでしょうに」

ああそうか、私は怖かったのか。

直接危害を加えられたわけではないから自覚していなかったのだろう、よく考えれば刑法犯なのだから怖くてもおかしくない話だ。

すっかり気にするなと言われるものと思っていたが、逃げたのは間違っていなかったようだ。

残りのアイスティーを流し込む。

「聞いてくれてありがとうございます。少し落ち着きました。」

「それは良かった。今日は早く休んでください」

「そうします」

それにしても気持ちが悪いですね、と彼女は頭を振り、カフェオレを飲み終えた。

 

私たちは荷物をまとめ、連れ立って会計を済ませた。

「あ、」

ドアに手をかけたが開けられない。

今外に出れば奴がいるのではないか、という思考に取り憑かれて足が止まってしまった。

「どいてください」

彼女は間の違和感から察してくれたらしかった。私の前に回り込み、そのままドアを開ける。

いつもの人通りがある日が暮れた御茶ノ水駅前だった。

「今日は送ってあげますよ」

「それは悪いです。あなたが奴に会うかもしれない」

東京とはいえ夜道である。

「それもそうですね。では帰り着いたら一報ください」

「そうします。お気遣いありがとう」

私たちはそれぞれ帰路についた。

迫る影帽子と、あの視線と手元が頭の中で何度も繰り返し再生される。

しかし彼女は私の言を矮小化せずに捉えた。私にとって十分過ぎる事実だった。

 

全ての十字路に戦々恐々としながら帰宅。鍵を閉めてその場で彼女に一報を入れると、返事がすぐにあった。

『お疲れ様。明日部屋から出られない時は迎えに行ってあげますね』

「ふ」

これはおそらく冗談だろう。

『いいえ、大丈夫です。お世話になりました』

部屋に入り畳んだままの布団に倒れ込む。なかなかに気力を消耗している。

目を閉じると先ほどの胸糞の悪さが蘇ってきた。それは奴の行いへの腹立たしさと、一方的に消費されたことへの胸糞の悪さ、逃げざるを得なかった自分への情けなさに変わっていった。

「あの野郎」

明日も扉を開けられないなら負けっぱなしのようで気に入らない。私は着替えを引っ掴み、銭湯へ向かってやった。

 

[8]鬼

※公然わいせつに当たる表現があります。苦手な人は避けてください。

 

 

2月3日。

ダウンジャケットはあった方がいいが、電車内だと暑い、くらいの豆撒き日和である。

私は1人で丸の内線に揺られ、日本橋へ向かっていた。

目的地は日本橋三越本店。百貨店の恵方巻きは如何なるものかと手に入れるべくやってきた庶民である。

時刻は夕方4時。退勤ラッシュが始まろうとする地下鉄を乗り換えてから一駅で降りる。門番のいない地下から三越に入ると、煌びやかな地下が広がる。季節柄、洋菓子の並びが特に華やかである。

目的の恵方巻きは彼女に頼まれたものだ。彼女は自分で買いたそうだったが、2月上旬の国家試験に備えるため、不本意ながら私を召喚したのだった。

恵方巻き売り場はごった返していた。私はずらりと並んだ中から2種類購入して帰路に着く。彼女も選ぶ楽しみくらいなければ気の毒だ、と動いてしまった食指を責任転嫁する。

 

帰りは気が向いたので銀座線で帰ることにした。地下鉄を降り、寒さにダウンの前を合わせてうつむきながら歩く。彼女は穂高で勉強して待っているらしい。

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夜道をしばらく歩いていると、私を追い越す1人の男がいた。並んだ瞬間に目が合う。特徴のない髪型と恰幅のいい肩の線。

男は早足で私を追い越し、その差20メートルくらいで再び私を振り返った。そこから少しずつ歩調を落としたようで、差が15メートルほどに縮まったあたりでまた振り返った。

なんだか不自然な様子である。私も後ろを振り返ったが誰もいない。確実に自分が見られていることが分かり、嫌な感じがした。

 

歩いては振り返るを繰り返す男は、同じ方向に歩きながら少しずつ私に近づいてくる。振り向く度に速度を調整しているようだ。肉食動物の獲物にされたかのような不快感が胸に広がる。

気味が悪いので男とは反対側の歩道に移動する。男はまだ私を見やりながらゆっくりと歩いている。

目を合わせないように歩道の反対側から早足で追い越し返す。このような時は歩みに比例して息が浅くなるのか、と妙に冷静な自分がいる。

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時間にしたら幾許もないかもしれない。男を追い越してからいくつか目の街灯を通り過ぎ、自分の影が前に伸びていくとき、足元にもう一つ影帽子が飛び込んできた。

後ろに付けられたか。

振り向くとやはりその男だった。その視線は私にあり、その右手は社会の窓から覗く局部を慰めていた。

「うわっ」

叫ぶより先に身体が動いた。私は脱兎の如く走り出した。

 

 

[7]救済

梅雨真っ只中である。

私は就職活動を無事に終え、半パンにクロックスという諦めた装いで大学へ通っては卒業論文の執筆に勤む日々を送っている。

自習室の空調は設定温度が異常に低い。そのため雨の日は震えながら机に向かっている。我ながら滑稽な濡れ鼠である。

雨は憂鬱だ。好きではない。

 

白状すると、筆が進まない。中間発表まで1ヶ月を切ったものの、進捗は目標の半分ほどでしかない。

そういうわけで私は大学4年生にもなって毎日登校している。情けない話である。

 

数時間の格闘の末、幾分かの文献漁りが終わったのでよしとする。

時刻は午後6時を過ぎた。遅れの解消に至らないまま、尻尾を巻いて向かうはいつもの穂高である。

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雨に降られながら穂高に着くと、天候のせいか、いつもよりがらんとしていた。

店内には彼女がいた。私たちはお互いにこの店が行きつけなので、約束がなくて会うことが度々ある。こういう時はお互い干渉しないのがなんとなくのルールになっている。

私は彼女に会釈し、背中合わせに2、3離れた席でアイスコーヒーを注文した。

 

なんてことのない、平日の店内である。

アイスコーヒーは時間がかかる。客の話し声がぽつぽつと聞こえる、割りかし静かな穂高だ。

コーヒーを待ちながら、いつもより少ない客たちの、雨の音と混ざり合い雑多になった話し声に意識を溶かす。この店に通うようになってから身についた道楽である。

店内でされる色々な話をぼんやりと聞くと、私がいなくても円滑に進むであろうここにいる全員の人生に、私は今端役で出演しているという妙を感じる。私が卒論に追い詰められた今日は、関係のない誰かにとっては恋人に振られた日であり、また違う関係のない誰かにとっては初めて飛行機に乗って旅をした日なのである。

アイスコーヒーが届いた。

人は自分の人生の主役から逃れられない。だが誰かから見た世界なら取るに足らない存在になることができる。己の人生に相対性があることを実感することで、思案にくれ身動きができなくなる私が救われる。心に満ちてしまった不安や焦燥から一時的にのがれて、私のような端役の心配事など大したことではないと感情の嵐をやり過ごす。不健康な道楽である。

 

「・・・・・・ます?」

「うわっ」

いつの間にか帰り支度をした彼女が隣に立っていた。

「珍しいですね」

「ねえ聞いてました?」

訝しげな顔である。

「すみません、何でしょう」

「お誕生日おめでとうございます」

言葉とともにテーブルに名刺ほどの小さな包みが置かれる。

思い出しもしなかった。明日は私の誕生日だ。

「ありがとうございます。覚えていてくれたんですね。」

「ええまあ、折角ですし。フライングですけど」

では、と用件を済ませ踵を返す彼女に慌てて問いかける。

「あなたが、妙と感じるのはどんな時ですか」

彼女が振り返る。瞬き2回分の間。

「ゴミ袋の最後の1枚を開いたら、ゴミ袋の包装が1番目のゴミになるでしょう。その瞬間だと思います。」

今度こそ彼女は店を出た。

彼女がくれた包みには、ステンドグラスを摸した栞が入っていた。私は帰りの雨に濡らさないよう、それを鞄の内ポケットに入れてアイスコーヒーに手を伸ばした。

 

[6]惹起

1月も残り少ない午後3時。穂高の席につきホットコーヒーを頼む。

鞄から格好をつけた文庫本を取り出しつつ携帯のメッセージを確認する。彼女の到着まで10分弱といったところか。

待つのは好きな方である。相手がいつ到着するか分からない、アンコントロールさが気に入っている。

本を開き、ページを捲る。栞代わりに折ったページの線を無意識に指で撫でつつ読み始める。

今日は本当に寒い。ページを捲る指の感覚も鈍い。

 

「お待たせしました」

顔を上げると、彼女がキャメル色のコートを脱いで丸めていた。

「いいえ」

「何を読んでいたんですか」

谷崎潤一郎に挑戦しています」

彼女は瞬きを一つして「良いですね」と言った。

「まだ短編を2つ読んだばかりですが」

「良い趣味だと思います」

ついつい興味が無ければ聞いても仕方がないような事を口走ってしまうが、彼女は律儀に返事をした。

「授業が少し長引きました」

「お気になさらず。何か飲みますか?」

「ありがとうございます。カフェオレにしようかな」

彼女は注文を済ませると、あくびを一つした。

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「お正月はご家族と会えましたか」

「ええ。久しぶりに帰れました。あなたは?」

「そうですか。私も帰りました」

まあ実家が近いので特別なことではないですけど、と彼女は届いたカフェオレをすする。

「その本。気に入った短編はありましたか。」

「うーん。どれも形容し難い気味の悪さがあります。」

「ああ確かに。もしミステリーなら御法度な話もありましたね。」

興味があるのかないのか、何か別のことを考えているような口ぶりである。

 

沈黙。

 

決して心地悪い訳ではないが、何かを切り出すタイミングを見計らっている時のそれだった。

 

そして私はそういう沈黙が妙に耐えられない質だ。

「....今度は何を思いついたんですか。」

「勘がいいですね。」

「鍛えられてますから。」

彼女がにやりと笑った。待ってましたと言わんばかりの笑みである。

「寒い時にしか見られないものがあるんです。」

ほら来た。

「イルミネーションか何かでしょうか。」

ノンノン、と首を振る彼女の両の口角が上がる。甘かったようだ。

「栃木に行きます。」

毎度突拍子もない彼女のはかりごとだが、今回は群を抜いている。

「聞き間違えでなければですが、入念な計画が要ります。いつ行くつもりですか。」

彼女のことだ、もう決め込んでいるのだろう。

「2月頭といったところでしょうか。第1週目が寒いようなのでそこで。」

聞き間違いではなかった。そこからの綿密な会議は日暮まで行われた。

ことばが足りないとき

お題をいただいたのでことばについて書きます。

今回は何かを結論づけるつもりはなく、とりとめのない感じになれば良いなと思う。

 

素敵な文章を書く友達がいる。彼が言うには、人となりは言葉によって表されるが、一方で大きな感情を言葉にした時、抜け落ちてしまう要素があるという。まず言葉未満の心の動きがあり、なかには言葉に整理されるものがあるが、そうできないものが確かにある、といった内容だったと思う。理解が間違っていたらごめん。

書いている内容とは裏腹に、言語化するまでとても丁寧に心と対話したことが分かる文章だったので、たくさん読まれてほしいなと思う。面白かった。

 

この要素が抜け落ちる感覚と同じものかは分からないが、感動に出会った時にことばが足りないと思うことがたまにある。

語彙の種類が足りない時。適切な表現が出て来ず、感動がどんな種類ものだったかを外に伝える力がない時は本当にやきもきしてしまう。引き出しがない状態である。どうしてこの日のために広辞苑を読み込んでおかなかったのかと遅すぎる後悔をすることになる。なんとなく私は感情はすべて言語化できるものと思っている節があり、語彙力が足りないことを悔しいと感じる。

感動が大きすぎた時もことばが足りないと思う。引き出しはあるが、サイズが合わず入り切らない状態である。ことばのスケールがどれもしっくりこなくて忠実さに欠けると思ってしまう。こういう時の感動は、時に壁となり、時に大きな波となって迫ってくるように感じる。ただ圧倒されているだけの人がそこにいる。結局「すごい」「すごくすごい」などのもう掃いて捨てらた方がいい無難な台詞しか出てこないのである。

文章に起こして見ると、どちらも他者から見れば同じことのような感じもするが、私の中では直感による明確な違いがある。

ただどちらにせよ、私は即興で気持ちを表現することがあまり上手い方ではないのだなと思う。それに加え、自分の直感に忠実な言語化になかなか固執していると思う。良い悪いではなく、傾向としてだ。

使い分けが必要に思う。自分にとっての「すごくすごい」と、受け取る人の「すごくすごい」は程度が違うだろう。私が「すごくすごい」と思ったものは、受け取る人によっては「すごい」程度のものかもしれない。ことばにできたとしても、私が受けた感動そのままを受け取ってくれる人は多くないだろう。自分だけが持つ感覚を言語化することが大事な場面なのか、その作業がいらない場面なのか。後者で失敗すると薄ぼんやりした人間であることが周りの人にバレてしまっていけない。

 

ことばとはハードなのだなと思う。情報を伝えるためのツールでありながら、個人の感覚に委ねられる部分が大きい、とても微妙で繊細なハードだ。だから人は迷ったり拘りを見せたりする。時には選んだ言葉から自分の心の裏が透けてしまう恐ろしさや、同じハードを使うことで逆に受け取り手による意味の肥大化や矮小化が起きてしまう不安定な一面があるが、丁寧に感情に向き合い言語化する作業は人として重要な作業ではないかと思う。たくさん本を読まなければいけない。

 

 

ルッキズムとアイドルカルチャーの折り合いを考えたら血の気多くなった

はじめに、アイドル門外漢の私がこんなこと書いて良いのかは自信がないが、どうぞお付き合い願います。

タイトルはもらったお題から。

Twitterであんなことやこんなことを言っている割に、私はルッキズムについて無知だった。

正確に言うと、私は社会に温存されるさまざまな差別について、あまり切り分けずに捉えていた。だから外見至上主義としてルッキズムだけを切り取った思考に慣れていなかった。そんな感じ。

さすがに少し勉強して、何となく自分の考えがまとまったのでようやく書いてる。お題をくれた友達、遅くなってごめんね。

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結論から言うと、現状ではファンが自重することこそが折り合いである、というのが私の考えだ。

 

まず、勿論アイドルは商業だ。表に出て夢を売る側と、裏で諸々をプロデュースする側の2者で作っている、きちんと設定のある人物像だ。どのようなコンセプトのなのか、個人なのかグループなのか、表に出る人間の素をどこまでを売り物として見せるか(キャラ設定)、売り方はどうか、といったことがそもそも決まっているものだ(多分)。

対してルッキズムは、世の中の普通とされているものから見た目がはみ出している存在に対して私たちが無自覚に向けてしまう視線であり、即ち差別である。

ここで、表に出る側のアイドルが見た目を商業的に使っていることと、外見による差別が不適切であることがぶつかるのでは?という話。私はお題をそう理解した。間違ってたらごめん。

 

確かに、顔が良い・痩せている・腹筋が割れているなど、見た目が良いことは売れる要因としてとても大きい。人間は見た目を消費してしまうものだと分かっているのに、その見た目を使って稼ぐのはそもそも良くないという考えもあると思う。

でもそんなこと言ったら芸能はすべて不適切だし、何より見た目を使って稼ぐ事が禁止されたとしても、見た目に対する差別はなくならない。見た目を売るのが悪いと言ったところで何にもならないのでは?と思う。

それに表に出る側のアイドルも見た目だけを売っている訳ではない。歌やダンスの実力、トークの内容、ファン対応での自分の魅せ方など、要素は沢山ある。

そうは言っても、やはり見た目は大きい。表に出る側のアイドルは容姿への言及を避けられない。商業だとしても、容姿への言及は表に出るその人に対するものだ。Vtuberに「太った?」と言わないのに生身のアイドルに言えてしまうのは、ファンがルッキズムを内面化している証拠だ。あと「背低くてもかっこいい」のような一言余計屋さんもルッキズムの弊害だなと思う。

そういうわけで、産業の構造上大きい権力(お金)を持っているファンが自重するのが最もルッキズムに消極的にあれる方法ではないか、現状そこを折り合いにするしかないのではというのが私の意見だ。

私は本来ならアイドル側がそれぞれ「消費の仕方」的なものを打ち出して、ファンがルールを守って応援する形が楽なのになと思う。ウマ娘のファンアートが性的でないものにとどまる理由は、そういう契約でコンテンツ化されていることを運営が周知しているからだ。世の中モラルはなくても決まりは守れるタイプの人間は結構いる。でも現実的には、アイドル側が決まりを作ったところで想定外の消費の仕方が生まれるだろうから、あまり意味はなさそうに思う。

アイドルが沢山いる昨今、アイドルに求められるものも多岐にわたる。昔と比べて、親しみやすさ、庶民感といった身近さの基準に比重が置かれるようになり、いかに恋人っぽい存在であるかが全体として求められるようになってきた気がする(多分)。応援している・お金を出している事実を盾に、あなたの為を思ってという体で見た目に言及するのは、単なるハラスメントである。アイドルが容姿を売っているからといって正当化できる行為ではない。

自分が思うアイドル像を「普通はこうだ」と生身の人間にぶつける前に、そういう人は静かに離れるなどした方がいい。アイドルはファンを選べないが、ファンが選べるアイドルは沢山いる。好きなアイドルが何を売っているかをよく見て、わきまえるのもファンの姿勢のうちだと思う。

 

 

 

参考

好井裕明「他者を感じる社会学 差別から考える(2020年)」筑摩書房

femme fatale 「酔っぱらってアイドルとオタクについて本音で語った【戦慄かなの・頓知気さきな】」https://youtu.be/jSzuz2SztTU

 

[5]灰色の春

春が来た。さして陽気でもない日に、彼女に誘い出された。

「桜を見て体内時計を合わせた方がいいと思いませんか?」

「年単位なんですね。」

どうしても心が曇る今年、地獄に仏といったところである。

 

「あなたのその、ちゃんと季節を追いかけるところが本当に健康だと常々思います。」

午前11時の丸の内線。急にどうしたんですか、と顔を覗き込む彼女は、6時に起床して一限を終えたらしい。10時まで寝ていた私とはそもそもの格が違う。

「流石に3年も花見ができないのは納得がいかなくて。」

「共感します。」

「週末の予報が雨だったので急なお誘いになりました。」

「皮肉ではないんです。お誘いありがとう。」

 

2000系を地上駅で降りる。駅近のチェーン店で唐揚げと竜田揚げを2人分テイクアウトする。唐揚げとそれぞれ用意したおにぎりで花見の魂胆である。

「しばらく歩きます。」

「はい。」

ひっそりとした住宅街を抜け、坂を黙々と降りる。

川に突き当たったら右へ折れ、さらに歩く。

 

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着いたのは川沿いの公園だった。川面にせり出した桜の枝の、全てが重たそうに花をつけている様。まるで何かを競っているようである。

「先に食べてしまいませんか。端まで眺めたい。」

「そうしましょう。」

ベンチに座りかけた彼女がこちらを見やる。

「あなたから提案するなんて珍しいですね。」

曇天と相まりきつく香りそうな桜の下、完全に不意をつかれた。分かりやすく身じろいでしまう。

「食中毒が心配なだけです。」

「ダウト。焦っておにぎり落とさないでくださいね。」

「相変わらず手厳しいですね。」

さして陽気でもない水曜日、3年振りの花見をした。